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現代ハンガリー女声合唱曲集
Concert
Bartok Bela プロフィール
バルトーク・ベーラ(Bartok Bela)は1881年、
ハンガリーのナジュセントミクローシュに生まれる。
ブダペスト王立音楽アカデミーに入学し、
コダーイと協力してハンガリーの農村で民謡を収集、
さらにバルカン、中近東に足をのばして
その源流を探り、
従来ハンガリー民謡と考えられていたジプシー音楽に
代わって、マジャール人の音楽を発掘し、
作曲の基礎とした。
1920年代からは、その語法を再生産して
新古典技法の中で発展させ、
20世紀音楽に絶大な影響を残した。
1940年、第2次世界大戦を避けて渡米、活躍。
1945年、ニューヨークにて没。
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基本
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演奏会の紹介
定期演奏会
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第50回(2003)
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第49回(2002)
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第48回(2001)
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第47回(2000)
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第46回(1999)
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第45回(1998)
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定演の歴史
「遊声」演奏会
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第6回(2003)
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第5回(2002)
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第4回(2001)
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第3回(2000)
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第2回(1999)
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第1回(1998)
Kodaly Zoltan プロフィール
コダーイ・ゾルターン(Kodaly Zoltan)は1882年、
ハンガリーのケチュケメートに生まれる。
ブダペストの王立音楽アカデミーに学び、
バルトークと協力してハンガリーの民謡を収集、
その音楽的語法を作曲の基礎とした。
多数の民謡編曲のほか、無伴奏合唱曲を作曲。
後半生には、歌劇、管弦楽曲の傑作を生んだ。
バルトークが1920年代から
現代音楽としての民族主義を確立したのに対して、
コダーイはあくまで穏健な様式にとどまり、
また第2次大戦中も祖国を捨てなかった。
音楽教育の開拓、
そのための教育作品における功績も高く評価されている。
1967年没。
Kocsár Miklós プロフィール
コチャール・ミクローシュ(Kocsár Miklós)は1933年、
ハンガリーのデブレツェンに生まれる。
1959年にブダペスト音楽アカデミーを卒業。
10年間、マターチ劇場の音楽監督、および指揮者を務めた後、
バルトーク・コンセルバトアールで作曲科の講師となる。
その傍ら、1983年まで国営ラジオ放送局の民族音楽ディレクターを兼任した。
合唱曲の他、室内楽、オーケストラのための作品がある。
1973年、1980年にErkel Prize、
1987年にArtist of the Hungarian People's Republic、
1992年にBartok-Pasztory Awardを受賞。
作品について
バルトークの3曲は「児童・女声のための27の合唱曲集」による。
この曲集の大きな特徴は、歌詞のみ忠実にわらべうたと民謡からとられたが、
ふしは全てバルトーク自身の創作による点だ。
8つのセクションに分けられた曲集であるが、
この3曲では、F Fis Gの音がキーとなり、
テンポは速い→ゆっくり→速いといった具合になっている。
この作品が、単なる民謡のアレンジだけではなく、
ハンガリーの子供のための教育的配慮であった事は
コダーイが大きく評価している。
そうした曲の背景を踏まえつつ、このわらべうたを楽しんで歌い上げたい。
「山の夜」は、和音の重なり、
トーンクラスターが使われているのが一番の特徴である。
現代音楽の不協和音とは違う。
異なる調(F dur と G dur)の和音の重なり。
従ってアルトのメロディーは必ず、
他パートの作る和音のどれかにぴったりとはまる。
「山の夜」の美しいハーモニーにはこんな秘密(?!)が隠されていたのだ。
アルトとソプラノのカノンはクライマックスに向けて盛り上げながらも
客観性・冷静さを失わず、
また後半、山の空気の張りつめた様子は
メゾソプラノが生み出す保続効果である。
「Salve Regina」は5曲のなかでも、
これが一番壮大なスケールを持つ曲であろう。
注目したいのは、この曲がG durで始まり、D dur、A durを経て
最後に再びG durに戻るしくみだ。
原罪を背負う人類の祈りが、「聖母マリア」に向かい、
Andante sostenutoから何度も呼びかけ段々と上っていく。
この感情の高まりを歌の響きと共に、ホール全体へと満たしたい。
(女声指揮者:桑原 亮子)
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